ゑびす様総本宮出雲國美保神社社分霊

当たる福引開催

由緒

事代主神

 天照大神の御弟、須佐之男命の御子孫で出雲大社に鎮ります大國主神の第一の御子神様で天神の系を承けさせられた尊い神様です。夙、父神を扶けられ國土の経営、産業の開発におつくしになり、又天孫降臨に先だち出雲の國にお降りになった天つ神の御使者に御父大國主神と計り「畏しこの國は天つ神の御子に奉り給え」と海中に青柴垣をお作りになり「天の逆手」を拍っておこもりになられ、國譲りをなされた神話で有名な神様です。殊に商業に福運を授け給う神様として信仰あつく商業成就の「手拍ち」は天の逆手の故事に起因すると申しています。

大國主神

 大己貴命、八千矛神、顕國玉神、葦原醜男神など多くの別名があり天孫降臨以前に葦原の中國(古代の日本)を支配していた國つ神の統領であったと伝えられています。記紀神話では國家経営、國内平定、医療、禁厭の法の判定など種々な國家的、文化的事業を行われた創造の神様です。天孫降臨にさいしそれまで統治して来たすべての國土を献上され自らは出雲の地に大宮殿を建て隠栖された。それが今の出雲大社であります。

御神徳

 そもそも事代主と申す御神明は事知主の義であってすべて世の中に生起するあらゆる事を辯え知らしめて是非、曲直を判じ邪を避け正に就かしめられる事の大元を掌り給うという意味で人の世の日常の行為や行動を教導し主宰し給う守神と拝し奉ります。
 又大神をゑびす様と申し上げ釣棹を手に鯛を抱かれた福徳円満な御影をえがいて敬ひ漁業の祖神、海上の護神と仰ぎ水産海運の御霊験はあらたかであります。因みに本宮美保神社に古くから伝わる「波剪御幣」は大神様の海上守護の御神徳にあやかり山なす狂乱怒涛をも押し切って航行を安泰ならしめ給う霊徳を表現した御幣で水災、火災、病難等何たるを問ふことなく信仰は広く行きわたっています。
 又大神は大義、平和、叡智、推譲の御神徳、産業福祉の道をお拓きになった神様で人生での狂乱、障害を祓除し家内の安全、事業の繁栄を守り給う福徳の神と拝し奉ります。

概要

沿革

第二次世界大戦が終り、焦土と化した和歌山市にも漸く再建の槌音がきこえるようになった昭和二十一年の秋、はからずも戦火をまぬがれた郷内の有志が、敗戦罹災の傷心に今なほ苦しんでいる人々或はまた街の復興に汗を流し日夜頑張っている人々、このような周りの人々の心のささえ、明日えの心の糧として信仰の場をつくることを発起しました。御祭神としては國づくりや産業福祉にその場を拓かれ、商業にもご神徳あらたかな神様として古くから信仰されているゑびす様をお祀り申し上げることにしたのであります。

昭和二十三年 一月 創建(郷内有志四十七名による)
昭和二十三年 一月 第一回祭礼(友田町四丁目、駅前罹災地)
昭和二十四年 一月 聖天宮境内(現在地)に遷宮
昭和三十六年十一月 美保神社に於て御神像入魂祭
昭和三十七年 一月 美保神社の御分霊を鎮祭
昭和四十四年 十月 本殿成就正遷宮新殿祭

昭和三十七年以降の御祭礼はすべて、ゑびす様総本宮出雲國美保神社宮司並びに神職によって執行されています。

年間行事
一月 一日~三日 初まいり
九日 宵ゑびす
十日 本ゑびす
十一日 残りゑびす
七月 二十三日 夏祭り
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十日ゑびす

十日戎について

一月十日の夷講。関西では「えべっさん」と親しまれ商売繁盛の神として知られています。七福神にも組み込まれ、いまや大黒様と並び称されるほど、日本の代表的な福の神となっており、恵美須祭りは一月十日の初ゑびすを中心に、九日の前夜祭の宵ゑびすから、十一日の残ゑびすまで盛んなにぎわいを見せます。

参拝の作法(二礼二拍手手一例)

1.まず、二礼(2回深くお辞儀)します。
2.次に、二回、拍手を打ちます。
3.最後にもう一度深くお辞儀します。

縁起物

縁起物を神棚や店先に飾ると、その年1年間の商売繁盛がかなうといわれています。また、前年の商売が繁盛した場合、感謝を込めてもう一回り大きな縁起物を買うのが良いとされています。

福引

開催期間:1月9日(宵戎)、10日(本戎)、11日(残戎)
豪華景品:旅行クーポン70,000円分 他

悪斬の舞

恵美須さまの総本宮、出雲の国(島根県)美保神社より横山宮司及び神宮さまが出向され、3ケ日参詣の皆様方に福をお授けいたします。
※事情により中止の場合がございますのでご了承ください。

福娘募集中

令和七年度の福娘の募集を締め切りました。